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とりあえず何か考えてみる。

2006年7月末より開始。現在、名前の通り自分の趣味から周囲の出来事まで色々と観察・考察中。だが単なる語りの域を出ない事も多々存在。
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2007/03/21
21:47
音楽への気迫やらはその瞬間しか分からない。

今日は、2期上の先輩方の卒業演奏会だったので、聴きに行ってきた。
金管5重奏・弦楽合奏・モーツァルトのクラリネット協奏曲にドヴォルザークの8番と、大分聴き応えのあるプログラムで、聴いているこっちが楽しくなる演奏をしていた。
私情も混ぜた感想を言えば、先輩らは素敵に格好良かった。

演奏を聴きながら考えたのだが、大学、より一般化してしまえばアマチュアの音楽団体ってのは大分特異なもんだ。プロの演奏者の場合、音楽は生活と関係する仕事としての意義がまず来るであろうし、高校生以下で音楽団体に所属している人の中には、校則やらで仕方なく、って人もいるのではないか。その点で、大学生は大分拘束も緩く、自由な存在だろう。

つまりは、仕事でも義務でもないのにやっている事自体が、考えれば不思議と言えるんじゃないか。
そもそも管弦に限らず、音楽をやるのには大分金がかかる。第1に楽器類の資金。自分の場合だとティンパニとか買えたらどんなにいいかと思うが、普通の生活をしている一個人は買えない、まず。買えてもせいぜい自分のマレットくらいだ。学生の場合だと、本番前に曲を仕上げるため合宿に行ったりするので更に金がかかる。
端的に言ってしまえば、大学で音楽をする事は趣味とか道楽の部類に入り、無理をしてまで続ける必要はないのだ。だからこそ、無理できなくなった人は音楽をやめるわけだろうし。
金銭面を考えればこんな無駄な道楽、何でやっているのかと思うが、結局は、「音楽が好き」だからなんかねぇ。

そこで今回題名で述べた「演奏の気迫」にやっと話をつなげる。

聴いて楽しくなる演奏だったのは冒頭に書いたとおりだが、今回、先輩らの演奏する姿に共通して感じたのは、曲に対する気迫と熱だ。同じ期のメンバーで演奏する機会はこれが最後だからだったからであろうか、ともかく熱かった。
推測はあくまでも私見の域を出ないが、気持ち半分で気迫を感じさせる演奏は出来ないと思う。
そこで今の自分を省みた。
仮に、音に感じる気迫が音楽への熱意と直結していたとして、現況の自分は、出す音に気迫が込められているだろうか。あるいは、音楽と真っ向から向き合っているか、など柄にもない事を考えた。
後者の疑問自体は去年の夏辺りから抱きつづけている物であり、しかもコレに対しては、否…つか斜め後ろから観察してますが何か、ぐらいの答えしか出せない。
まぁ、正面から向き合うと自己の存在意義が音楽一辺倒になる上、合奏毎に感情の上下が通常以上に激しくなるので敢えて避けている部分もあるが…基本的にオケを始めてからの自分は、出す音・造る音楽に完全なる自信を本番直前まで持てていない。
しかも自信を持てないくせに、音楽をやめられないってのが中途半端に性質が悪い。
何とか、したいんだがねぇ。

他の演奏会を聴きに行くと、大概こんな考え事が自己嫌悪と共に発生する。
いつもの事と切り捨ててしまえばそれまでなのだが、単純に捨てるのは現状、少し無理そうだ。
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